ケメのヒーリングスペース

    0磁場分杭峠~安曇野を起点に、スピリチュアルシンクロヒーリングな日常を綴ってます。

    ツングースカの大爆発とニコラテスラの怪しい関係

    2013/02/01 13:39 ジャンル: Category:エネルギー
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    ツング-スカ大爆発の真相は
    隕石落下、
    核爆発、
    それとも物理実験?


    世界の終わりが来るといわれたのはこれが初めてではない。
    60年代キューバ危機の際も米ソという核大国が一触即発の
    ところまで行った。だが、核爆弾の製造までまだ40年も
    あった時代にすんでのところで世紀末を迎えた事態があった
    ことはあまり知られていない。
    1908年6月30日
    シベリア中央部の上空に轟音とともに火の玉が飛んできた。
    その形については目撃者の中には丸かったとする者、
    球状だったという声、
    いやシリンダー状だったとするものと意見が分かれる。
    色は赤、黄色または白だった。
    現地時間で7時14分、
    それはシベリアのポドカーメンナヤ・ツングースカ川付近で
    炸裂した。
    爆発力はエネルギー量を
    トリニトロトルエン(TNT)の質量に換算すると
    40-50メガトンに達したとされている。
    これは広島に投下された原爆を2000倍上回る爆発力だ。
    当時研究者らはタイガに落ちたのは
    隕石であろうと断定したものの、
    これといった調査も行なわれないままだった。

    そういった一方でこの事件には
    セルビア系米国人発明家の
    ニコラ・テスラが首班としてからんでいたという
    憶測も存在している。

    TESLA.jpg

    ニコラ・テスラ

    ところがテスラの役割は不可解だ。
    凶悪者で大量破壊兵器の発明者だったのか、
    それとも人類の救世主だったのか。

    主任技師で電気工であったニコラ・テスラは
    欧州から米国へと渡った。
    ところがテスラがあたった雇い主は吝嗇で、
    テスラの能力に当て込み、まともな給料も支払わないまま
    彼は使われ続ける。
    才能豊かなテスラはトマス・アルヴァ・エジソンに見出される。
    テスラはエジソンの下で働き、電気エンジンを改良するが、
    このエジソンからも満足いくような報酬をもらえず辞める。
    テスラは職を失うことはなかったが、
    より一層多くの時間を科学に費やすようになる。

    1899年春、
    コロラド州のリゾート地スプリングスで
    テスラは雷雨を研究する小さなラボをたちあげる。
    この目的でテスラは電磁波を逐電することのできる装置を作る。
    電磁波は送電機から広い範囲にとび、
    その後出力がアップされて
    インド洋のアムステルダム島とサン・ポール島間ほどの距離に
    通電できるようになった。

    テスラはさらに出力の高い装置を使い、
    実験を続けることにした。
    1902年
    ニューヨーク州のロングアイランド島に購入された土地には、
    テスラ自身のプロジェクトで先頭に銅の半球を頂いた
    高さ47メートルの塔Wardenclyffeが建てられた。
    この装置を使ってテスラはエネルギーを蓄積し、
    より長距離に伝播しようと試みた。
    ところが、テスラの仕事に財政支援をしてきた
    1903年
    産業家ジョン・モーガンが契約を破棄する。
    このモーガンに続いて、他の産業家らも
    テスラへの支援を退けてしまった。
    この結果、
    1905年
    テスラは雇ってきた職員らを解雇し、
    仕事を中断せざるを得なくなる。
    ところがテスラの設置した装置は
    それからも長い間ラボに残り続けた。

    BAS2HNYA.jpg

    塔Wardenclyffe

    テスラは実験を続ける希望を失わなかったのだ。
    財政支援を得ようとテスラは様々な機関に書簡を送ったなかで、
    今までにない破壊力を持った兵器を開発する能力を
    有していること、回線を必要としない、
    そのエネルギー装置を使えば、
    地球のいかなる場所も生物の生息に適さない土地へと
    変貌することを証明し続けた。
    テスラはさらに、有名な旅行かロベルト・ピリが
    08年に開始した
    北極探検のルートを照らすこともできると豪語したのだ。

    ここで話をツングース隕石に戻そう。
    その科学的研究は1920年代にようやく開始された。
    27-39年ツングース隕石が落ちたと思われる地帯では
    地理学者レオニード・クリクをトップとした
    探検団が作業を行なった。


    ところが隕石の痕跡は影も形もなく、
    隕石がぶつかったときに出来るとされる
    クレーターも見つからない。

    その代わりに驚くべき事実があがった。
    爆発の中心には数本の樹木があったのだが、
    それが幹はそのままで、枝が全て焼け落ちてしまったのだ。
    一連の事実から、天空からの落下物が
    空中で爆発したことがうかがえる。
    地元のハンターらはクリク探検隊に、
    水で顔を洗うと焼けつくような痛みを感じ、
    光る石を見たことを語った。
    これ以外にも何かが焼けついてできた、
    直径1ミリほどの細かい球状のものが無数に見つかっている。
    後日こうした球状のものは
    米国の原爆が投下された広島、長崎でも見つかっている。

    60年代、この事実から、
    シベリアの上空で核爆発が起こったのではないか
    とする説が唱えられた。
    08年は原子爆弾はなく、
    爆発の原因は流星の起こしたものと言われていた。
    しかし、現在、これとは別の、
    同様に摩訶不思議な説が浮上し始めている。

    専門家らはツングースの隕石がもたらした
    奇妙な現象に注意を向けた。
    大西洋からシベリア中央部にかけて数日間にわたって
    空と雲が強烈な明るさを放っていたことだ。
    目撃者らは1908年6月30日の午前7時後、
    爆心地から200-300キロの地点では奇妙な、
    死のような静けさが広がっていたと語っている。
    鳥も鳴かず、葉の擦れ合う音も何も聞こえなかったという。
    このほかにも明るい光がさす朝が急に暗くなり、
    葉っぱも草も、すべてが黄色になり、
    その後オレンジ色、赤、赤紫になった。
    昼ごろになると当たりは真っ暗になり、
    ポドカーメンナヤ・ツングースカの方向に
    あたかも銀色の壁のようなものが見えた。
    爆発の後、磁気嵐が始まり、5時間ほど続いた。
    この異常な現象から、
    この事態はニコラ・テスラの仕業だったのだろう
    という予測が生まれたのだが、
    それを物語る説は少なくとも2つある。

    一つの説では、テスラは自分の作った装置の破壊力を
    見せつけようと決意したとされている。
    テスラは性悪な人間ではなかったので、
    及ぼす害は最小限度に抑えたいと考えていた。
    このためエネルギー爆発を起こす地帯は
    人の住まない土地にしようと最初は北極圏内を想定していたが、
    実際は少しそれを外れてしまった。

    LABORAT.jpg

    テスラの実験

    他の説では1908年6月30日、
    地球へ巨大な小惑星か彗星が衝突し、
    地中に入って炸裂したため、
    数十億年前恐竜が全滅した時と同じ効果が引き起こされたという。
    ただし、このときは人類全滅の事態には至らなかった。
    テスラは人類を救うために自分の開発した装置を使った。
    テスラは自身が逐電した電気光線を使って
    物体を空中で爆発させたか、
    テスラの作ったワーデンクリフ・タワー塔が操作され、
    放射線が出た結果、地中からエネルギーが噴出したという。

    こうした説を客観的に裏付ける証拠はない。
    かくて1908年夏、
    ツングースカ上空で何が爆発したのかという問いは
    謎のまま残されている。











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