ケメのヒーリングスペース

    0磁場分杭峠~安曇野を起点に、スピリチュアルシンクロヒーリングな日常を綴ってます。

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    浦島太郎とは天武天皇だった!

    2013/01/16 12:18 ジャンル: Category:古代
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    2013/01/16(水) 浦島太郎とは天武天皇だった!

    記紀(古事記と日本書紀)には、神話と史実が混在している。
    『海幸彦と山幸彦』や『浦島太郎と乙姫』の物語は
    史実ではないが、史実が反映されている。

    で、神話と史実の関係を読み解くのが鷲の得意技なのでR。

    たとえば…、
    海幸彦と山幸彦の兄弟喧嘩は、
    天智天皇と天武天皇の争いを暗示している。
    弟(天武)が兄(天智)を屈服させる正当性の先例
    あるいは根拠として『海幸彦(兄)と山幸彦(弟)』の
    物語は配置されている。

    では…、
    『浦島太郎と乙姫』の物語は何を暗示しているか?
    天武天皇が海人族の姫君を妃(きさき)にした
    史実と符合する。

    『日本書紀』の天武天皇の条項には、

    「胸形君徳善女尼子娘。生高市皇子命。」

    という文言が書かれている。これは重要である。

    「胸形(むなかた)君徳善」とは、
    安曇族とならぶ海人族の大勢力
    「宗像(むなかた)族」の酋長だ。
    つまり、
    天武天皇(大海人皇子)は、海人族の姫君と結婚した。
    浦島太郎のように。

    いや、天武天皇こそ浦島太郎なのだ!

    こうして海人(あま)族と姻戚関係を結んだ
    大海人(あま)皇子は、海人族の全面的な支援を受け、
    兄である天智天皇の皇太子を倒し、天武天皇となる。
    これが壬申の乱(じんしんのらん)である。

    大海人皇子=天武天皇は『古事記』と『日本書紀』の編纂を
    命じたが、『天孫降臨』の大掛かりな神話や、山幸彦や浦島
    太郎の物語を大胆、かつ見事に活用して新しい国家の基礎
    を築いたのでR。

    gakushuu
    バレバレの不正選挙で政権を強奪した悪徳ペンタゴンとは
    月とスッポン、天皇陛下と竹中平蔵、味噌と糞ほども違うY!

    飯山一郎


    信州木曽に寝覚ノ床という名勝がある。
    そこには浦島太郎が辿り着き、玉手箱の蓋を開けた
    という伝説が伝わっている。

    浦島太郎は竜宮城から地上へ帰るが、
    まわりの風景は変わっており、知人もおらず、
    旅に出ることにした。
    旅の途中、木曽川の風景の美しい里にたどり着き、
    竜宮の美しさを思い出し、乙姫にもらった玉手箱をあけた。

    220px-Nezame_no_toko_2.jpg

    玉手箱からは白煙が出て、白髪の翁になってしまう。
    浦島太郎には、今までの出来事がまるで
    「夢」であったかのように思われ、
    目が覚めたかのように思われた。
    このことから、この里を「寝覚め」、
    岩が床のようであったことから「床」、
    すなわち「寝覚の床」と呼ぶようになったという。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/

    浦島太郎の真相
    横浜市 井上友幸

    最近、歴史愛好家が書いた本を読んでいるとやたらと浦島太郎の話がでてくる。童話に出てくる浦島太郎の話は室町時代にできたおとぎ話であるが、実は、これには種本がある。715年頃に書かれた「丹後風土記」に出ているのである。それ以外に、日本書紀や万葉集にも断片的に浦島太郎の話は出ている。今回は、最近、話題を集めている浦島太郎の真相を探ってみる。

    (2000年11月13日 54歳)

     童話の浦島太郎は、助けた亀につれられて、海底の竜宮城に行く。そこで、乙姫様(身分は不明)の出迎えを受け、連日歓待の宴が催されたのである。しかし、何日かして浦島は、故郷に帰りたくなり、そのことを乙姫様に告げると、乙姫様は、名残おしくか、心よくかは判らないが、浦島の帰郷に賛成し、帰りがけに、玉手箱を手渡す。

     浦島は、亀に乗り家に帰るのであるが、故郷に着いてみると驚いたことに、もとの家はなく周りの人は知らない人ばかりであった。途方に暮れた浦島は、乙姫様のくれた玉手箱を開けることにした。ふたを開けると、箱からは白い煙るが立ち上り、浦島はみるみるおじいさんになった、というのが、私たちが知っている浦島太郎の話である。

     万葉集の浦島太郎は、その後、その場で死ぬことになっているが、日本書紀の浦島太郎は、別添参照という形になっており、この辺は明らかではない。誰もが、おじいさんになった浦島太郎がその後どうしたかということは、興味あるところであるが、万葉集に書かれているように、そのまま死んだと見るのが妥当ではないだろうか。

    室町時代にできた「御伽草子」では、その後、浦島は鶴になり飛び去ったと結び、後日、亀とともに神として祀られたことになっている。これは、亀を助けた浦島の善行を説話的に取り扱ったものと思われる。そして、現代の浦島太郎は、話に現実味を持たせるため、御伽草子の鶴になった部分を割愛したものである。

    このように万葉集や御伽草子の浦島太郎は、多少の違いはあるが、おおむね私たちの知っている浦島太郎の話と大きな違いはない。ところが、丹後風土記に書かれている浦島太郎の話、実際は「浦の嶋子」(奈良時代における「子」は太郎の意味、小野妹子の例あり)の話は、万葉集や御伽草子とはかなり違ったものである。

     浦の嶋子は、丹後半島の漁村「水の江」の漁師であった。嶋子が不思議な体験をする前の時代は、470年頃で(雄略天皇の時代)で、嶋子が帰郷したのは、700年頃である。この間、230年が経過している。(丹後風土記では、300年後に帰郷したことになっている。)

     丹後風土記は715年頃、日本書紀は720年、万葉集は750年頃に作られた(日本書紀以外は、製作年は不確実である)書物であるから、嶋子が不思議な体験をして帰郷したのは、丹後風土記が書かれる10~15年前の出来事ということになる。また、万葉集が書かれた750年頃からみると浦の嶋子の話は50年前の話であるから、今の私たちが太平洋戦争時代の話をしているようなものである。

     丹後風土記には、浦の嶋子の話があまりにも信じられないと見えて、わざわざ、浦の嶋子の話は「伊豫部(いよべ)の馬養連(うまかいのむらじ)が記録したことであるから間違いない。」と断っている。伊豫部の馬養連は、丹後風土記が書かれた直前の丹後の国司である。

    以下にSF作家・豊田有恒著「蘇る古代史」から、丹後風土記の「浦の嶋子」の話をまとめて紹介する。

     雄略天皇の時代(470年頃)のある日、浦の嶋子は、漁に出たが不漁だった。ところが帰路、亀のような乗り物(五色の亀)と不思議な女に出会う。女は、「天上仙家」から来たという。天上仙家は「天地の終わり、日月の極」にあると言う。女に誘われて、浦の嶋子はその五色の亀に乗るが、乗るとすぐに嶋子は、寝入ってしまう。

     目をさますと、海上の(丹後風土記には「海上」と書いてあるが、実際は宇宙か)島が迫ってきた。そこは、これまで見たこともないきらびやかな宮殿と楼閣があった。中に入ると亀姫(亀国の姫の意味)が現れ、嶋子はそこで亀姫と楽しい日々を送ることになる。

     そこには、7人の小さな人間のような生物と、8人の小さな人間のような生物がいた。嶋子が聞いてみると、7人は昴宿(ぼうしゅく:スバル座のこと)から来たといい、8人は畢宿(ひっしゅく:牡牛座)から来たという。かれらは、故郷に帰りたがっていた。

     そうこうしている内に、嶋子も、故郷へ帰りたくなったので、亀姫に暇乞いを願い出る。亀姫は、帰る嶋子に玉匣(たまくしげ:玉手箱のこと)を授ける。そして、嶋子は、再び五色の亀に乗り、眠る内に故郷に着く。

     故郷に着くと、嶋子は、大変なことに気づくのである。そこには家もなく、知る人もいなかった。周りの人に、事の次第を尋ねると、自分は300年(実際は230~250年ぐらい前)も前に海で行方不明になっていたのである。

     なすすべを失った嶋子は、亀姫からもらった玉匣を開けることになる。すると箱の中から、「かぐわしい蘭のような体が、風雲に率いられて、蒼天にひるがえって飛んだ」と表現されるような現象が起きた。これを豊田有恒は、「ホログラフによって亀姫が嶋子の前に現れた」と解釈している。そのあと、嶋子は、みるみる老人になり、その場で死ぬことになる。

     以上が、丹後風土記に出てくる浦の嶋子の話である。この話から、誰もがUFOに乗せられた嶋子が、地球以外の星あるいは宇宙ステーションに連れて行かれたということを連想する。

     丹後風土記では、亀は生き物としてではなく「亀の形をした乗り物」として登場している。また、嶋子の行った先は、海底にある竜宮ではなく、天地の終わり、日月の極ところにある天上仙家という宇宙を思わせるところである。そして、五色の亀はきらびやかな宮殿と楼閣のある島に着いたとしているところから、星というよりは、宇宙ステーションに着いたともの考えられる。

     SF作家である豊田有恒氏は、浦の嶋子の話の個々の事がらを以下のように連想している。


    五色の亀:パイロットランプを点滅させたUFOを連想する。
    天上仙家:異星あるいは、宇宙ステーションを連想する。
    天地の終わり、日月の極:太陽系の外を連想する。
    昴宿:スバルは散開星団で、異星人のいる可能性がある。
    畢宿:牡牛座には、太陽とよく似たスペクトルをもつ恒星がある。
    玉匣:ホログラフをもった通信機を連想する。

     また、五色の亀に乗った嶋子は、すぐに寝入ることになるが、何万光年も旅するときには人間は仮死状態に置かれるというのは今の宇宙科学からすれば、なかば常識である。浦の嶋子の話は、当時の人が聞いたならば、荒唐無稽な話であるが、今の私たちからみると、浦の嶋子は宇宙旅行をしたのではないかと想像されるのである。

     逆に、浦の嶋子の話が、全くのフィクションだとすると、丹後風土記の作者あるいは浦の嶋子の想像力に驚くのである。なぜなら、700年頃、これほど、宇宙旅行や異星人の想像をするというのは、普通の人のできることではないからである。

     藤原定家の作品に「明月記」と言うのがある。1241年、定家が80才で亡くなるときに発表された一種の歌集である。この中に次のような文章がある。「てんかん星に客星(かくせい)宿す、大きさ歳星(さいせい)のごとし」(おうし座に見しらぬ星が現れた。大きさは木星ぐらいである。)

     これは、蟹星雲が爆発したときの状態を記録したものである。アメリカの天文学者がおうし座にある蟹星雲を観測して、蟹星雲の爆発は、1200年頃地球から最初に観測されたはずという結論を出した。そして、その記録の有無を世界的な規模で調査したのである。その結果、蟹星雲の爆発は、藤原定家の明月記に記録されていたのである。

     恐らく、今世紀以前の人は、明月記の「客星」のことが何を意味しているか判らなかったものと思われる。蟹星雲の爆発が計算されて、はじめて、明月記の「客星」の意味が判ったのである。明月記ができてから、おおよそ700年後のことであった。

     浦の嶋子の話を、今から100年後、200年後の人が読んだら、もっと現実味のある話として捉えることができるのではないだろうか。浦の嶋子の話は、今から1300年前の話であるが、このように時が経つにつれて明らかになることもあるものだと思うと歴史的事柄を無理に今の知識や感覚で解釈するのは間違いではないかとも思うのである。

    以上
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