ケメのヒーリングスペース

    0磁場分杭峠~安曇野を起点に、スピリチュアルシンクロヒーリングな日常を綴ってます。

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    工藤俊作とサムエル・フォール卿

    2011/10/27 13:45 ジャンル: Category:武士道
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    恵隆之介『海の武士道』

    工藤艦長の魅力  
    工藤は、駆逐艦艦長としては、まったく型破りで、
    乗員はこの艦長にたちまち魅了されていく。
    艦長としては珍しく眼鏡をかけており、
    柔和で愛嬌のある細い眼をしている。

    駆逐艦「雷」着任の最初の訓示も
    「本日より、本艦は、指摘制裁を禁止する。
    とくに鉄拳制裁は厳禁とする。」
    というものだった。

    乗員は、目を白黒させる。
    乗員、とくに下士官は当初、工藤を
    いわゆる「軟弱」ではないかと疑った。
    ところが、工藤は決断力があり、
    当時官僚化していた海軍部内で型破りであった。
    上に媚へびへつらうことを一切せず、
    しかも辺幅を飾らず、些細なことにはこせこせしなかった。

    工藤は日頃、士官や先任下士官(兵曹クラスのまとめ役)に
    「兵の失敗は、やる気があってのことであれば、決して叱るな」
    と口癖のように言っていた。

    しかも酒豪で、何かにつけて宴会を催し、
    士官兵の区別なく酒を酌み交わす。
    柔道は3段で、得意技は、まねごし。

    着任後2ヵ月経過すると、
    「雷」乗員はり僚艦(同じ任務に就いている、味方の軍艦)
    の乗員に「オラが艦長は・・」と自慢するようになり、
    「オヤジ」というニックネームまで付けられた。
    艦内の士気はこうして最高潮に達していた。

    艦内のエピソード
    ・艦内における鉄拳制裁禁止の徹底ぶり
    鉄拳制裁しても、古参下士官の中には、
    こっそり兵を殴るものもいた。
    殴打された兵が艦長に直接言上するわけにはいかないので、
    兵は艦長の前で足を引きずったり、
    顔を曇らせて視線を下げたりした。
    その度に艦長は、「どうした、殴られたのか」と発言し、
    専任下士官に
    「何度言えばわかるのだ、鉄拳制裁は禁止したはずだ」
    と注意していたという。

    ・部下指導にみる艦長の指導力。
    哨戒(しょうかい)行動中
    (敵の襲撃を警戒して、軍艦や潜水艦で見張り中)
    見張りが流木を敵潜水艦の潜望鏡と誤って
    報告することがあった。
    艦長は、このとき、決して起こることなく
    「その注意力は立派だ」と、
    報告した見張りを誉めていたという。
    →見張りはどんな些細な異変についても先を争って
    艦長に報告するようになり、
    その指導の結果、見張りには、
    4000メートル先の浮遊物と潜望鏡を確実に見分ける
    ベテランが続々と誕生することになる。
    当時、これほどの識別能力を確保していれば、
    敵潜水艦の雷撃を十分回避できた。

    こうした中、「雷」の艦橋(ブリッジ)は、
    たとえ戦闘中でもほのぼのとした家庭的な雰囲気があった。
    また「雷」乗員は、工藤を慈父のように慕い
    「この艦長のためなら、いつでも死んでも悔いはない」
    とまで公言するようになっていった。

    また工藤艦長は、ブラックジョークが得意であった。
    英国兵を救出した後も
    「おい伝令、もしも彼らに反乱を起こされれば、
    命取りになるなあ。
    背が高いし、力は強い、どこを壊されても大変だなあ!」
    しかし艦長の顔には自信と迫力があったという。
    その夜は月明かりのさす艦橋で見た艦長の顔は、神々しく、
    髭を蓄えながらも実に端正に見えたという。
    (当時、艦長伝令を務めた佐々木氏談)

    ☆そして彼を育て上げたのが、
    海軍兵学校(広島/江田島)の鈴木貫太郎中将
    (当時、連合艦隊指令長官兼務、
    終戦時の42代目の内閣総理大臣になった方でもある)
    詳しくはこちらのブログへ→恵隆之介『海の武士道』

    サムエル・フォール卿  

    1919年2月19日、ジャジィー島生まれ

    第二次大戦時 英海軍に志願、駆逐艦「エンカウンター」乗務
    1942年3月乗艦が日本海軍に撃沈され、3年間捕虜生活を送る

    「エンカウンター」勤務時の活躍をもってDSC for gallantry
    (殊勲十字章)を授与される。

    戦後英国外務省勤務、中東およびマレーシァ勤務の後、
    シンガポール高等弁務官(現在大使昇格)、ナイジェリアの高等弁務官
    クエート、スエーデン大使を歴任。

    外務省退職後、EC(European Commission)ヨーロッパ共同体に勤める
    EC代表としてアルジェリア勤務、アフリカ開発支援顧問として活躍

    イギリス兵救出のストーリーはこちら↓
    キネシオロジー・武士道の神髄








    一人工藤だけが【雷】を離れた後、
    【雷】は敵艦隊にやられかつての部下達も全員が死んだ。
    以来、黙し語らぬまま戦後を生き終えた工藤俊作。
    サムエル・フォール卿が伝えてくれなければ、
    永遠に知ることのなかった
    日本海軍の誇り高きエピソードである。
    詳しくはこちらのブログへ 木庵先生の独り言


    先日、殺されたカダフィ大佐を裸のまま引き摺り、
    靴そこでその遺体をたたく反政府の兵士という記事を読み
    愕然とした。
    その後、【前代未聞の市民デモ】でイラクにおける自衛隊
    の活動ぶりを観て、心が洗われる思いだった。

    わたしは当初イラクの自衛隊が、
    砂漠で緑色の迷彩服を着ていることに驚いた。
    ・・・もしやわざと・・まさかそこまで・・・
    でも何処にもそれについて言及された話は出てこず、
    先日この動画を観るまで忘れていた。
     戦地でそれは、平和の為に命を差し出すような行為。
    まさかまさかのそこまで、自衛隊は意識し徹底して
    やってくれていたんだと思うと涙があふれた。
    心ある兵士なら、話を聞けばきっと感銘を受ける筈。

    友達作戦って、きっとそこから来たんでしょうね。
    きっと世界中の心ある兵士は、自衛隊でありたいと願うでしょう。
    そしてどうやら、目覚めつつあるようです。




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